陽炎(かげろう)、絲遊、糸遊(いとゆう)、絲子(いとし)、野馬(やば)

 陽炎は天気のいい春の日、野原や畑などに立ち上る空気のこと。日ざしが強いと空気に温度差が生じ、遠くの景色やものがゆらいで見える。絲遊、絲子は陽炎が「絲のように」立ち昇ると見たのだろう。陽炎を「野馬」と表記する例は中国の「荘子」などに見えるが、名の由来は分からない。

かれ芝やややかげろふの一二寸   松尾芭蕉
丈六(じょうろく)に陽炎高し石の上   松尾芭蕉
(注)丈六は一丈六尺の仏像。仏像が倒れ、台座の上に陽炎が立っている。伊賀・新大仏寺で。
かげろふの我肩にたつ紙子かな   松尾芭蕉
(注)紙子は紙製の衣服。和紙に柿の渋をぬってつくる。
かげろふや取りつきかねる雪の上   山本荷兮
(訳)雪の上に陽炎が立っているが、間が空いていて、雪にすがりつけないように見える。
糸遊(かげろう)や目とめて見れば忙しき   江左尚白
陽炎や庇(ひさし)ふきたる杉の皮   広瀬惟然
陽炎の抱きつけばわがころもかな   越智越人
(注)漢武帝と籠姫・李夫人を描く。李夫人亡き後、武帝が幻に抱きついた、という場面。
かげろふのたつや手まりの土ほこり   森川許六
陽炎や壁のぬれたる夜の雨   森川許六
かげろふやほろほろ落ちる岸の砂   服部土芳
野馬(かげろう)に子どもあそばす狐かな   野沢凡兆
陽炎や小磯の砂も吹きたてず   宝井其角
かげろふや墓より外(そと)に住むばかり   内藤丈草
(訳)芭蕉の墓を詣でて。私は生きているが、体が弱り、墓の外に住んでいるだけのこと。
鶏にかげろふもゆる垣根かな   横井也有
陽炎や笩木かはく岸の上   炭太祇
陽炎や板とりて乾す池の舟   炭太祇
陽炎や名も知らぬ虫の白き飛ぶ   与謝蕪村
陽炎に鼻あたためる野馬かな   喜多村涼袋
いといふ(糸遊)や南に向ける東大寺   大伴大江丸
陽炎やはかなきと見る人もなし   高桑闌更
陽炎の外(ほか)は動かぬ景色かな   高桑闌更
かげろふは眠る狐の魂(たま)なる歟(か)   高桑闌更
糸遊によろづ解け行く都かな   高桑闌更
かげろふや消えてはもゆる波の隙(ひま)   高桑闌更
糸遊の乱れ乱れて静かなり   高桑闌更
陽炎に美しき妻の頭痛かな   黒柳召波
陽炎に兎出てゐる檜原かな   黒柳召波
かげろふを掻出す鶏の距(けづめ)かな   黒柳召波
(訳)鶏がけずめで土を掘っている。土が湿っているので、陽炎が立ち昇ってくる。
古草に陽炎を踏む山路かな   吉分大魯
陽炎の物みな風のひかりかな  加藤暁台
かげろふや卵の虫の巣を出づる   加藤暁台
かげろふの中来てくらむ戸口かな   加藤暁台
かくばかり陽炎も胸をさすものか   加藤暁台
(訳)ゆらゆらしているだけの陽炎だが、こんなにも胸に響くものなのか。
陽炎やもたれて睡(ね)むる縁はしら(柱)   蝶夢
糸遊にほどける草の葉先かな   加舎白雄
陽炎やしづかなる日の敷がわら   加舎白雄
糸遊に児(ちご)の瞬きやさしさよ  加舎白雄
陽炎や酒にぬれたる舞扇   高井几董
かげろふや泥脚かはく慈姑(くわい)堀り   高井几董
陽炎を寂しきものと知らざりき    井上士朗
かげろふやいせ(伊勢)の御祓捨ててある   夏目成美
陽炎や世はとにかくに捨てにくし   夏目成美
陽炎や鍬捨てて置く畠中   夏目成美
陽炎や手に下駄はいて善光寺   小林一茶
(注)足の弱い人が手に下駄を履いて寺参りする様子。
陽炎や子をなくしたる鳥の顔   小林一茶
陽炎や道潅どのの物見塚   小林一茶
(注)物見塚は領地の様子を見る小高い場所。
陽炎に成つても仕まへ草の家   小林一茶
陽炎や臼の中からま一筋   小林一茶
陽炎やわらで足ふく這入口   小林一茶
陽炎や狐の穴の赤の飯    小林一茶
陽炎や大の字形に残る雪   小林一茶
陽炎や下駄屋が桐の青葉吹く   小林一茶
陽炎や馬をほしたる小松原   小林一茶
陽炎や歩行(あるき)ながらの御法談   小林一茶
陽炎や新吉原の昼の体(てい)   小林一茶
陽炎や蕎麦屋が前の箸の山   小林一茶
陽炎の中にうごめく衆生(しゅじょう)かな   小林一茶
(注)衆生は一切の生物(人間や動物)。
陽炎や消えやすければ立ちやすし   児玉逸淵
陽炎や水振りまけば高うなる   小林苣丸
陽炎や今朝は氷の上にまで   橘田春湖
陽炎や染めのあがりし扇骨   塩坪鶯笠
陽炎をざぶりと消すや波がしら   服部李曠
陽炎や布目瓦の布目より   杉浦宇貫
陽炎や石の魂(たましい)猶(なお)死なず   正岡子規
ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚   夏目漱石
陽炎や老眼くもる鏡研(ぎ)   幸田露伴
陽炎のもゆる干潟の碇(いかり)かな   片山桃雨
陽炎や舟に落ちたる渡し銭   島田五空
陽炎や落第恥じて野にある子   石島雉子郎
ギヤマンの如く豪華に陽炎へる   川端茅舎
あそびの輪ぬけし一人に陽炎へる   石橋秀野

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