春雨は木の芽時に降る柔らかな雨。これに対し、春の雨は春雨より前に降る雨、という説明がある。しかし春雨と春の雨はほとんど区別なしに用いられているのではないだろうか。春時雨は春のにわか雨、春霖は春の長雨のこと。
春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏(もり) 松尾芭蕉
春雨や蓬(よもぎ)をのばす草の道 松尾芭蕉
春雨や蓑吹きかへす川やなぎ 松尾芭蕉
不精さやかき起されし春の雨 松尾芭蕉
石塔もはや苔つくや春の雨 向井去来
(注)芭蕉没後の翌年、芭蕉を葬った義仲寺(ぎちゅうじ)の墓を詣でて。
春雨や降るともしらず牛の目に 小西来山
生(なま)壁のにほひや残る春の雨 森川許六
春雨のなま夕暮れや置火燵(おきごたつ) 椎本才麿
(訳)なま夕暮れは薄暮のこと。
春雨や桑の香に酔ふ美濃尾張 宝井其角
状見れば江戸も降りけり春の雨 上島鬼貫
(注)状は手紙。
塵ながすほどにもふらじ春の雨 野沢凡兆
春雨や抜け出たままの夜着の穴 内藤丈草
襖(ふすま)戸の内でものいふ春の雨 志太野坡
春雨や枕崩るる謡ひ本 各務支考
(訳)春雨の降る日。枕代わりに重ねていた謡曲の譜本が崩れてしまった。
春雨やうつくしうなる物ばかり 加賀千代女
(訳)春雨が降る。草も木も遠い景色も、目に見えるものはみな美しくなってくる。
春雨や土の笑ひも野に余り 加賀千代女
春雨や屋根の小草に花咲きぬ 嵐虎
春雨や芝居見る日も旅すがた 炭太祇
春雨やうち身痒がるすまひ取 炭太祇
春雨や小磯の小貝ぬるるほど 与謝蕪村
春雨や同車の君がささめごと 与謝蕪村
(注)同車は、同じ車に乗ること。
春雨の中を流るる大河かな 与謝蕪村
春雨や数珠落したる潦(にわたずみ) 与謝蕪村
(注)潦は雨後の水たまりや小さな流れ。
春雨にぬれつつ屋根の手毬かな 与謝蕪村
池と川ひとつになりぬ春の雨 与謝蕪村
物種の袋ぬらしつ春の雨 与謝蕪村
(注)物種は野菜や草花の種の総称。
春雨や身にふる頭巾着たりけり 与謝蕪村
春雨や人住みて煙壁を洩る 与謝蕪村
春雨やものがたりゆく蓑と傘 与謝蕪村
はるさめや暮なんとしてけふもあり 与謝蕪村
春雨や菜飯にさます蝶の夢 与謝蕪村
(注)夢の中で人間が蝶になる、という、荘子の「胡蝶の夢」を踏まえている。
雛見世の灯を引くころや春の雨 与謝蕪村
(訳)雛店に客が減り、灯を消して閉店するころ。春の雨が降っている。
はるさめや綱が袂(たもと)に小提灯 与謝蕪村
(注)綱は京都・戻橋の娼妓。綱が袂のあたりに小さな提灯を持っている。
春雨やゆるい下駄かす奈良の宿 与謝蕪村
淡島へはだし参りや春の雨 与謝蕪村
(注)淡島神社は婦人病に霊験があると言われる。
傘さして棹さし行くや春の雨 三宅嘯山
(注)掉さすは、棹をさして舟を動かしていく。
春雨やあかつきみれば松の雪 大島蓼太
三井寺の鐘きく春の雨夜かな 大島蓼太
春雨やのたのた帰る孕(はらみ)鹿 高桑闌更
春雨や伊勢海老動く籠の中 高桑闌更
文ぬれしことはりいふや春の雨 黒柳召波
はるさめや柳の雫梅の塵 黒柳召波
花鳥をおもふや夜のはるの雨 三浦樗良
旅人の夜川や越ゆる春の雨 加藤暁台
春雨や森の草木のけぶりたつ 蝶夢
海はれて春雨けぶる林かな 加舎白雄
はる雨の赤兀山(はげ)山に降り暮れぬ 松岡青蘿
春雨や蓑の下なる恋ごろも 高井几董
(注)恋衣は恋のこと。恋は「常に身にまとっているもの」を意味する。
春雨や鼻うちくぼむ壬生(みぶ)の面 高井几董
はる雨や編笠ごしの音羽山 夏目成美
はる雨や木の間に見ゆる海の道 岩間乙二
(注)海の道は「海への道」。
春雨や簾(すだれ)を巻いて鶴御覧 建部巣兆
春雨や鼠も古き法隆寺 成田蒼虬
春の雨流るる水に見えて降る 巒寥松
春雨や蕗の広葉のぬれ渡り 夏目吟江
春雨や食はれ残りの鴨が鳴く 小林一茶
春雨や薮に吹(か)るる捨て手紙 小林一茶
ほうろくをかぶつて行くや春の雨 小林一茶
(注)ほうろくは「焙烙」。素焼きの平たい土鍋。
馬までも旅籠(はたご)泊りや春の雨 小林一茶
はる雨や猫に踊ををしへる子 小林一茶
菜のにえる湯の涌き口や春の雨 小林一茶
きのふ寝し嵯峨山見ゆるはるの雨 小林一茶
春雨や家鴨よちよち門歩き 小林一茶
春雨や窓も一人に一つづつ 小林一茶
行灯(あんどん)で菜をつみにけり春の雨 小林一茶
春雨や藪に吹るる捨手紙 小林一茶
春雨や腹をへらしに湯につかる 小林一茶
春雨に大欠伸(あくび)する美人かな 小林一茶
傘さして箱根越すなり春の雨 小林一茶
春雨や鼠のなめる角田川(すみだがわ) 小林一茶
餅買ひに箱提灯や春の雨 小林一茶
春の雨竹の節越す雫かな 南湖
春雨の暮れても見ゆる鴎かな 半月
駅の灯も見えて降りけり春の雨 蟻道
鷺のゐる山際青し春の雨 宗頑
春雨や桐の芽つのる伐り木口 本好
春雨や四条五条のぬり木履(ぼくり) 北溟
訪ふ人に道で逢けり春の雨 五丸
春雨に傘の出て行く小船かな 里楊
日のくれや瀬田の春雨雪交り 市原多代女
降るうちに空明りして春の雨 小島文器
春雨の中に残るや畑の鶏 室伏波静
春の雨何見て橋に立つ人ぞ 渡辺詩竹
足袋ぬげば爪も切りたし春の雨 萩原竹良
春雨や寝れば覚ゆる旅づかれ 沼尻可昇
春雨や塩屋塩屋の煙出し 村上鬼城
(注)塩屋は塩をつくるために火を焚く小屋。
塗りたての畔の光や春の雨 木村素石
舞姫の鼓あぶるや春の雨 中村楽天
かき餅の取出されけり春の雨 幸田露伴
松島の紀行直すや春の雨 正岡子規
春雨や金箔はげし粟田御所 正岡子規
春雨や傘高低に渡し舟 正岡子規
傘さして引舟通(る)春の雨 正岡子規
春雨や小梅へ通ふ渡船 中野其村
(注)小梅は、浅草側から隅田川対岸、向島地区にある地名。
酒くさき宿の畳や春の雨 巌谷小波
春雨や居るかといへば居るといふ 巌谷小波
春雨や汽車に乗せたる牛の顔 松瀬青々
春雨や門の外なる麦畑 坂本四方太
春雨の衣桁に重し恋衣 高浜虚子
春雨や銭湯出でて昼の寄席 吉野左衛門
濡鹿の睫毛の露や春の雨 鈴木花蓑
寺に入れば石の寒さよ春の雨 高村光太郎
春雨にジョットの壁画色褪(あ)せたり 高村光太郎
春雨や木くらげ生きてくぐり門 杉田久女
春雨の中や雪おく甲斐の山 芥川龍之介
春雨にすこし濡れ来て火桶かな 松本たかし