春の暮、春の夕、春夕べ

 「春の暮」は俳句では「春の夕方」を表すが、一般的な用語としてはこの意味のほかに「春の終わりのころ」「晩春」の意味も持つ。別の季語としてこの項の下に置いた「春の宵」は、春の日が暮れて間もない頃を言うが、「春の暮」との違いは微妙。「暮の春」という季語もあり、俳句では晩春のことを言う。

野遊びやたつて腰うつ春の暮   伊藤信徳 入相(いりあい)の鐘も聞こえず春の暮   松尾芭蕉 (訳)春の暮に聞く鐘の音はさびしい。ここはその鐘さえ鳴らぬさびしい田舎だ。 舟借りて春見送らん柳蔭   立花北枝 大門の重き扉や春の暮   与謝蕪村 うたた寝のさむれば春の日くれたり   与謝蕪村 春の暮家路に遠き人斗(ばかり)   与謝蕪村 にほひある衣も畳まず春の暮   与謝蕪村 春の夕たえなんとする香をつぐ   与謝蕪村 日ぐれ日ぐれ春や昔のおもひかな   与謝蕪村 誰(た)がための低きまくらぞ春の暮   与謝蕪村 草臥(くたび)れてねにかへる花のあるじかな   与謝蕪村 迷ひ子の泣き出す春の日ぐれかな  大伴大江丸 驚かぬ風渡りけり春の暮   高桑闌更 伐(きり)倒す楠匂ひけりくれの春   高桑闌更 ゆふべゆふべ静まる春の心かな   高桑闌更 橋守の銭かぞへけり春夕(べ)   黒柳召波 花にこそ命惜(し)けれ春の暮   三浦樗良 (訳)春の暮れにつくづく思う。命が惜しいと思うのは、来年も桜が咲くからだ。 蝶が身の人よりかなし春のくれ   三浦樗良 放下(ほうげ)師の眠りのひまに春ぞ行く   三浦樗良 (注)放下師は、一切の執着を捨て去った禅僧。 海は帆に埋れて春の夕べかな   吉分大魯 古琴やねずみ出て行く春の暮   加藤暁台 我が為に灯(とぼし)遅かれ春の暮   加藤暁台 春といへど燈(ひ)とぼすほどに暮れしかな   加藤暁台 春暮れぬ酔中の詩に墨ぬらん   高井几董 (訳)酔った勢いで書いた詩。今、春の暮に見ると恥ずかしく、墨で塗りつぶそうと思う。 草臥れて寝し間に春は暮れにけり   高井几董 僕が妻の絹着て帰る春のくれ   高井几董 (注)僕は下男、使用人。 半面の美女かいま見ぬ春のくれ   高井几董 (注)半面は「隠れ忍ぶ」の意味だろう。 下京の窓かぞへけり春の暮   小林一茶 木菟(みみずく)の面魂よ春の暮   小林一茶 春の日や暮れても見ゆる東山   小林一茶 顔染めし乙女も春の暮るるかな   小林一茶 石手寺へまはれば春の日暮れたり   正岡子規 (注)石手寺は愛媛県松山にある寺。四国八十八箇所五十一番目の札所。 女房のふところ恋ひし春の暮   松瀬青々 傾城のうすき眉毛や春の暮   松瀬青々 地震(ない)知らぬ春の夕の仮寝かな   河東碧梧桐 春の夕暮れんとしては小雨ふる   高浜虚子 茶を焙(ほう)ず誰も来ぬ春の夕ぐれに   渡辺水巴 春夕や傘さげ帰る宮大工   楠目橙黄子 春の夕厨(くりや)の妻を遠くおもふ   日野草城 眼を閉ぢて春のゆふべの勤(め)人   日野草城 (注)通勤電車の帰宅風景だろう。

春宵、春の宵、宵の春

 「春の宵」は江戸時代の歳時記にはないが、蕪村一派はこれを季語として詠んでいたという(暉峻康隆著「季語辞典」より)。江戸時代の例句が少ないのはそのためだろうか。

 「宵の春」は「春の宵」と同じ。

漏る雨をひととかたるや春の宵   炭太祇
公達(きんだち)に狐化たり宵の春   与謝蕪村
肘(ひじ)白き僧のかり寝や宵の春   与謝蕪村
紫の夜着にくるまる春の宵   水落露石
目つむれば若き我あり春の宵   高浜虚子
春宵の灰をならして寝たりけり   原石鼎
春宵は墨絵のごとく尼おはす   石田雨甫子
雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕   前田普羅
春の宵やわびしきものに人体図   中塚一碧楼
語り継ぐ昔春宵の嘘誠   杉本禾人
油気の食えぬ病や春の宵   富田木歩
春宵や光り輝く菓子の塔   川端茅舎
古妻と言ひも棄てまじ春の宵   日野草城
春の宵妻のゆあみの音きこゆ   日野草城

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