都会でもよく見かける紋白蝶、黄蝶は春の到来を告げる蝶として親しまれているが、紋白蝶を揚羽(あげは)蝶などともに夏の季語としている歳時記もあり、迷わされる。江戸期の句に詠まれた蝶は、「蝶」「蝶々」「胡蝶」「小蝶」などが多く、「紋白蝶」など種類を詠んだものはめったに見かけない。 蝶の旧仮名表記は「てふ」。「蝶々」「ちょうちょ=てふてふ」は蝶に親しみを込めた呼び方。「胡蝶」は蝶の異称とされ、気取った感じもある。古い句では、蝶を「一羽」「二羽」と表記する例もある。
「荘子」に「胡蝶の夢」という話がある。男が夢の中で蝶になり、覚めてから「今の自分は蝶が夢に見ている人間(自分)ではないか」と疑う。江戸時代はその話が非常によく知られており、俳句にも盛んに取り上げられた。蝶が「眠る」「寝る」という句が多いのも、この説話の影響だろう。
落花枝にかへると見れば胡蝶哉 伝・荒木田守武
(訳)はらはらと散る花びらが、枝に戻って行くぞ。なんだ、あれは蝶だった。
世の中やてふてふとまれかくもあれ 西山宗因
(注)世の中は「胡蝶の夢」(荘子)のようなもの、の意味。とまれは「ともあれ」。
かかる世は蝶かしましき羽音かな 伊藤信徳
花と見て蝶なり蝶と見て荘子 岸本調和
君や蝶我や荘子が夢ごころ 松尾芭蕉
(注)君が蝶なら、私は蝶の夢かも。荘子の一文を踏まえ、友人との仲を表現した。
蝶の飛ぶばかり野中の日影かな 松尾芭蕉
(注)日影は「日当たり」のこと。其角の「夕日陰のこてふ」はこの句に対応したものか。
てふの羽の幾たび越ゆる塀の屋根 松尾芭蕉
唐土(もろこし)の俳諧問はんとぶ小蝶 松尾芭蕉
(訳)夢の中で荘子になった蝶よ。唐土(中国)の俳句はどういうものか、お前に聞こう。
起きよ起きよわが友にせん寝る胡蝶 松尾芭蕉
くりかへし麦の畝ぬふ小蝶かな 河合曾良
(注)ぬふは「縫う」。
くろい蝶あれでも花にめずるかな 小西来山
わが影に追ひつきかぬる胡蝶かな 立羽不角
酒くさき人にからまる胡蝶かな 服部嵐雪
沖の蝶汐さすまでのねぶり(眠り)かな 椎本才麿
夕日影町半(なか)に飛ぶこてふかな 宝井其角
猫の子のくんずほぐれつ胡蝶かな 宝井其角
眠る蝶夜ル夜ル何をすることぞ 宝井其角
てふの羽(は)のまねけばうごく心かな 桜井吏登
青空やはるばる蝶のわたりづれ 立花北枝
もぬけ行く胡蝶のからや窓の雨 内藤丈草
てふてふや加茂の芝生にひもすがら 馬場存義
蝿が来て蝶にはさせぬ昼寝かな 横井也有
(注)これも「胡蝶の夢」関連。蝶が来て昼寝を妨げたのを、こう詠んだ。
てふてふや花盗人をつけてゆく 横井也有
蝶々や何を夢見て羽づかひ 加賀千代女
蝶々のつまだててゐる潮干かな 加賀千代女
(注)潮干の砂地の蝶。水があって止まりにくい。それを「つまだてて」と表現した。
見初(む)ると日々に蝶みる旅路かな 炭太祇
掘川の畠からたつ胡蝶かな 炭太祇
寄りそふて眠るでもなき胡蝶かな 炭太祇
市中の棟から落す胡蝶かな 溝口素丸
うつつなきつまみごころの胡蝶かな 与謝蕪村
(注)現(うつつ)なきは正気でない、夢心地の意味。荘子の「胡蝶の夢」と関係がありそう。
釣鐘にとまりてねむるこてふ哉 与謝 蕪村
伏勢の錣(しころ)にとまる胡蝶かな 与謝 蕪村
(注)錣は兜の左右に垂れ、首を防御するもの。「伏勢」を「伊勢武者」とした句も。
蝶々や昼は朱雀の道淋し 堀麦水
(注)朱雀は京都の遊郭・島原のこと。
傾城(けいせい)の傘の上行く胡蝶かな 堀麦水
蝶々や乞食の夢のうつくしき 大島蓼太
たちいでて初蝶見たり朱雀門(すざくもん) 大伴大江丸
むらさめの日は花とちるこてふかな 大伴大江丸
風止みて蝶の出てくる野原かな 高桑闌更
日の影や眠れる蝶に透き通り 高桑闌更
川波やあやふく越ゆる蝶も有り 高桑闌更
道のべや馬糞の胡蝶花の蝶 高桑闌更
はつ蝶や出でし朽木をたちめぐる 高桑闌更
夜の蝶手燭を寄する葉裏かな 高桑闌更
われを夢に見るらん膝にぬる(寝る)こてふ 高桑闌更
(訳)これも「胡蝶の夢」。私の膝に寝ている蝶は私になった夢を見るのだろう。
地車に起き行く草の胡蝶かな 黒柳召波
屋根ふきのあがれば下るこてう哉 黒柳召波
花に狂ひ月に驚く胡蝶かな 三浦樗良
うつつに蝶となりてこの盃に身を投げむ 吉分太魯
蝶とんで風なき日ともみえざりき 加藤暁台
夢殿をうかれ出づるか蝶の影 蝶夢
笛吹いて蝶寄する人奇なるかな 吉川五明
蝶とぶやあらひあげたる流しもと 加舎白雄
から鮭にてふ舞(う)昼の厨(くりや)かな 加舎白雄
夕風や野川を蝶の越ししより 加舎白雄
二羽になりて蝶かへすなる野中かな 加舎白雄
風の蝶消えては麦にあらはるる 松岡青蘿
舟につむ植木に蝶のわかれ哉 高井几董
つままうとすれば蝶ゆき蝶とまる 井上士朗
(訳)蝶をつまもうとすると飛んで行くが、すぐ近くにまたとまる。
ひらひらと墓原までもはるの蝶 夏目成美
蝶のぞく宿なら覗け道のほど 岩間乙二
蝶が来てつれて行きけり庭のてふ 小林一茶
通り抜けゆるす寺也春のてふ 小林一茶
初蝶の一夜寝にけり犬の椀 小林一茶
肘(ひじ)まくら蝶は毎日来てくれる 小林一茶
蝶とんで我身も塵のたぐひかな 小林一茶
鉄砲の三尺先の小てふかな 小林一茶
蝶とぶや夕飯過ぎの寺参り 小林一茶
うら住みや五尺の空も春のてふ 小林一茶
蝶来るや何のしやうもない庵へ 小林一茶
やよや蝶そこのけそこのけ湯がはねる 小林一茶
大猫の尻尾でじやらす小蝶かな 小林一茶
一筵(むしろ)蝶もほされて居りにけり 小林一茶
葎からあんな胡蝶の生まれけり 小林一茶
てふ飛ぶや煮しめを配る蕗の葉に 小林一茶
風呂水の小川へ出たり飛ぶ胡蝶 小林一茶
寝仲間に我も這入るぞ野辺の蝶 小林一茶
川縁(へり)や蝶を寝さする鍋の尻 小林一茶
蝶とぶや横あかりなる流し元 小林一茶
水鳥のほろほろ雨や飛ぶこてふ 小林一茶
また窓へ吹き戻さるるこてふかな 小林一茶
気の毒やおれをしたうて来る小蝶 小林一茶
初蝶やまだ穭(ひつじ)穂のある山田 岱年
葛飾の橋の下行くこてふかな 飛鯨
初蝶や萩の芽出しに小一日 亀特
蝶に貸す日南(ひなた)もできて庵の春 大原其戎
蝶舞うや畚(ふご)に寝た子の夢笑い 服部稲雄
(注)畚は竹や藁で編んだ物を運搬する道具。
見るうちに夕栄したり蝶の空 志倉西馬
初蝶や思へばものはみなあはれ 小川尋香
蝶々や別れて広き道に出る 小川尋香
ただ遊ぶのみにはあらじ春の蝶 細木香以
風の蝶空から一つこぼれけり 三森幹雄
たつた今生れし蝶や川越ゆる 喜多村楽只
初蝶や散つて来たかと思はるる 連梅
初蝶や野にたはむるる人の声 森連甫
長堤十里蝶の心となりにけり 外川残花
てふてふの相逢ひにけりよそよそし 村上鬼城
ひらひらと蝶々黄なり水の上 正岡子規
日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり 松瀬青々
(訳)夏の日中、二つの蝶が空中で触れ合った。カサッと音がしたように思えた。
菜の花の化したる蝶や法隆寺 松瀬青々
飛ぶ蝶に我が俳諧の重たさよ 幸田露伴
(訳)蝶がひらひらと飛んで行く。あれに比べると私の俳句(俳諧)は重いなぁ。
日陰蝶がうら淋しそうに飛んでゐる 河東碧梧桐
蝶々のもの食う音の静かさよ 高浜虚子
初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ 高浜虚子
山国の蝶を荒らしと思はずや 高浜虚子
蝶二つ黄なるは少し小さくして 上原三川
人形師のうつらうつらや蝶のとぶ 高田蝶衣
谷深く烏のごとき蝶を見たり 原石鼎
浜風になぐれて高き蝶々かな 原石鼎
高々と蝶こゆる谷の深さかな 原石鼎
みちのくと聞けば遠さや蝶を見る 高橋淡路女
蝶追うて春山深く迷ひけり 杉田久女
蝶の空七堂伽藍さかしまに 川端茅舎
(訳)蝶が空から逆さまに下りるとき、寺院の七堂伽藍もさかさまに見えるのだろう。
一蝶に雪国の瑠璃(るり)流れけり 川端茅舎
(訳)雪国にきれいな蝶が一つ飛んでいく。瑠璃色が流れていくかのようだ。
妻の茶話(さわ)初蝶を見しことその他 日野草城
初蝶を見し束の間のかなしさよ 松本たかし
つく杖の銀あたたかに蝶々かな 松本たかし
愁(うれい)あり歩き慰む蝶の昼 松本たかし